(非鉄)次は洗濯機ですか。。。

トイレを注文してさー工事という時に洗濯機が壊れました😨

去年夏から、冷蔵庫➡トイレ➡風呂リモコン➡洗濯機と電化製品が次々壊れます。炊飯器も壊れて鍋で炊飯してます。

そういえば、電子レンジも新調したな。

うーん(゚-゚)

寿命なんだろうけどもこう連続すると支払いも凄いし困ったもんです😞

まだまだエアコンとか洗面所とか風呂とか予備軍が控えています。車も。

ま、きれいになって最新式を楽しむ前向きさでいきますか😆

 


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給水が出来なくなった洗濯機。

お疲れさまでした。

 

土本駅


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大井川鐵道のSLかわね路に乗った後、井川線土本駅に行ってみました。

千頭駅到着はお昼なので13時の最終の井川行きで井川までの往復は可能だけど往復4時間強は楽鉄としてはきついのでそのまま金谷へもどる計画にしようと考えていました。

しかし、時刻表を眺めていると少しだけ乗って折り返す事ができる事が判明し、その駅が土本駅というなんとも秘境な駅だったので実行しました。

 

1.千頭駅

土本までの往復の切符を窓口で頼むと硬券で印刷された切符を渡されました。

こんな切符売れるの?と思いながら記念になるなと少しうれしかったです。

ホームに行くと小さな列車が待機していました。


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窓掃除中


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中も小さい

 

2.出発

乗客が7割程度で出発です。

列車が進んで行くとだんだん景色が山の中に変わっていきます。乗客は全員観光客でどの駅も乗降客はいません。だんだん不安になってきます😅

土本駅の直前にはこのまま井川まで行こうかと考えてしまいました😆

そうは言うもののしんどいしやっぱり降りようと決意し降りる準備をします。

立ち上がると、何こいつみたいな熱い視線😆

列車のドアは観覧車みたいな引っかけるだけのタイプで開閉は手動なので手こずりながら降ります。降りると乗務員さんがダッシュでかけより、“ここからどうされますか?”と心配そうに声かけられます。

“折り返しに乗ります”と答えると安心する様に列車に戻りました。

 

3.土本駅

駅に降り立ち列車を見送ります。


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待合室だけの小さな駅です。周りは林です。裏に道路と民家らしきものが1軒です。めちゃ寂しい駅です。13:50着で14:06に反対方向の列車がくるので16分待ちなのでそんなに探検出来ないし、万一乗り遅れたら2時間待ちになるので駅から離れず待機しました。ちなみに、万一でも朝まで来ないとかない様な時間なので今回の土本駅の探検を決意したものの待っている間は、運休とかないやろな?とか大幅遅延とかないやろな?とか不安いっぱいでした😅

そうこうしてると、定刻に列車が到着し安心しました😆

 

4.帰路


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列車に乗車すると、やはり熱い視線😅

なんですか?みたいな顔で席に座ると乗務員さんが検札にきます。なぜか乗ってくるのが想定通りって態度でした。さっきの乗務員さんが連絡してくれてたのかな?

 

5.再び千頭駅

千頭駅に無事到着し、帰路につきました。

帰りは旧近鉄南大阪線の特急車両です。


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快適でしたが、シートとかそのまま使ってますので結構傷んでます。そこが大井川鐵道のいいところですね。

 

 

里山里海と花嫁のれん


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富山地方鉄道の旅の前日にのと鉄道里山里海号と花嫁のれんに乗りました。

朝からサンダーバード能登かがり火を乗り継いで七尾駅まで移動します。


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七尾駅では10分の乗り継ぎでばたばたと乗り込みます。席に案内されるとお土産のクリアファイルが置いてあり切符をもらいます。


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発車し次の停車駅は能登中島駅です。ここにはオユ10が留置しており、中を見学できます。


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そういえば昔の郵便車の写真あったな、これ同じ?


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能登中島駅を出発し、昔の漁村みたいなところを進みます。


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そうこうしてるとあっという間に穴水駅終点です。


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穴水駅では、能登線のなごりがあります。


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のと恋路号


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駅名標


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時刻表の残骸

など見学し、復路に乗車します。

復路は里海の代わりに一般車を併結した混合編成です。


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よく知りませんが、なんかのアニメのモデルとかいう駅でアニメの駅名標を見て、さっぱりわかりません😅


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で、七尾駅に到着です。


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ここから、花嫁のれんに乗車です。


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こちらは特にコメントする程のものはなかったです。シートの座り心地はもう一つです。


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金沢到着。

あまり食事が出来なかったので、がっつり海鮮丼を食べて、本日の旅終了です!


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めちゃうまかった😆

 

 

 



 

 

近鉄ビスタカーⅡ世

子供の頃、近鉄沿線に住んでいて近鉄ビスタカーはカッコイイ電車として羨望の的でした。兵庫県の両親の実家に行く時は近鉄特急に乗りますが2階席に乗りたくて乗せてもらった記憶が鮮明にあります。

その時は、4人家族で乗りましたが2階席は1席しか無く恐々一人で乗りました。楽しかった!

この頃はお姉さんがおしぼりをトングでつかんで配ってました。なんでトング使うのかなーって疑問に思ってました😊

あと、東京に住んでいたおじさんが名古屋に単身赴任していて、時々ビスタカーで家まで来ました。おみやげにハイクラウンチョコレートをもらい、お~高級チョコレート!って感動したものです。ビスタカーの駅の停車時間にぽんと母親に荷物を渡しそのまま名古屋に向かう時もありました。その中にもハイクラウンチョコレートが入っていました😆


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この写真は、高安車庫にビスタカーⅡ世が留置されているのを目撃して、友達と写真を撮りに行った時のものだと思います。(1976年頃?)

もう引退していたからかな。

車庫には入ってないので端っこから写真を撮ったと思います。

貫通型と非貫通型が並んでますね。隣の通勤型車両も結構古そうですね。

何系かわかりません😖

阪急もそうですが全部同じに見えます😅

 

etSETOra

芸備線走破の翌日にetSETOraに乗りました。

去年のデビューしたての頃は全く席が取れない状態でしたが今は空席があります。

etSETOraは往路が広島から呉線経由で尾道迄、復路が尾道から山陽本線経由で宮島口迄行きます。私は往路に乗りました。


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出発の15分くらい前に7番線に入線します。

オレンジのシートの1号車と緑のシートの2号車があり、私は2号車です。


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だいたい半分くらいの席が埋まりました。


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1号車は結構満席に近い状態です。


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車両の外では横断幕で盛りあげています。

私の席は4Aで海側の進行方向なのですが、カーテンがあって眺望が悪い席でしたので、隣の窓向きの席が空いていたので移動しました。


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この席あかんよね?

 

列車はゆっくりゆっくり3時間かけて進みます。


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シートは快適であっという間に着いてしまいます。


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オールグリーン車といえども快速なので安く乗れます。途中でひと駅だけ乗って来た親子もいました。

鉄はわりと少なくて二人組の一般観光客の方が多かったかな。鉄に人気が無いかどうかは分かりませんがたまたまかも知れません。

ただ、ずっとうろうろうろうろしているおっさんと1、2分停車でもホームをダッシュして写真を撮っている鉄はいました。

この列車は途中駅で10分とかの長時間停車が無く(離合の運転停車は結構あります)ローカル駅を見たりすることができません。そういうのもあるのかもしれませんね。


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尾道では尾道ラーメン食べました。


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尾道ラーメン たに

日替わり定食 ¥850也

水島臨海鉄道

etSETOraの後は井原鉄道に乗って鉄印をゲットする計画でしたが、なんと鉄印帳を忘れてくるという失態を犯してしまいました😨。

なので、計画を変更して倉敷で水島臨海鉄道に乗ることにしました。


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レトロな案内表示


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こちらはきれいになっています。


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この列車に乗りますが、三菱自工前まで行って往復するには時間が足らないので途中駅の栄まで乗って帰って来ます。


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列車はなかなかの混み具合です。

地元住民が積極的に利用されているのでしょう。安泰ですね!

備後落合③

みよしライナーは2両編成で非鉄一般人もいるので、ようやく普通に列車に乗った気分です!すがすがしい!

ばらけて鉄は乗ってますが


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中はこんな感じ。


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広島に到着!


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懐かしい呉線。広行き。

本日の旅は終了です。お疲れ様でした。

明日はetSETOra乗ります!

夜ごはんはお好み焼き。


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過去に備後落合に行った話

昔の切符を整理してたら、こんな切符が出て来ました。


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大学の頃、広島の広から芸備線木次線、山陰線、福知山線で大阪へ行ってます。

確か、友達の黒澤君と急行だいせんの寝台車に乗って私の家に帰った記憶はあります。この時のものだと思いますが、だいせんの切符どころかこの切符以外何も残っていません。

昭和59年なので1984年。まだ陰陽連絡の急行ちどりとか走ってた頃で、備後落合駅も有人駅でホームに売店とかあった頃じゃないかな?全く記憶がなく残念です。


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当時、寝台列車に乗ったのは目的だったので記憶にあるけど他はただの移動手段だからしょうがないか。(確か黒澤君が新幹線長時間乗るのが苦痛って言ってたので寝台列車を進めた記憶があります。その一環の流れからこの旅が実施されたのかな?)

因みに、だいせん含めて一切写真がありません。

非鉄一般人時代の私を叱りたい😄